先進国で唯一「国民皆保険」がないアメリカ
アメリカには現在でも、日本の国民皆保険にあたる制度がありません。
つまり、病院の診察にかかる費用は基本的に全額自己負担。救急車で搬送されるだけで数十万円の請求がかかり、盲腸の手術でさえ数百万円もの大金が必要な国です。
日本のように健康保険で3割負担になり、高額になると高額療養費制度で抑えられるというのは、先進国でも異次元の制度です。アメリカでは一部の恵まれた職場の福利厚生でしかなく、それを使っても医療費は高額になります。
政治家は何をやってるのかと疑問に思うかもしれません。当然ながら、国民の医療費については政治家の「飯のタネ」になっています。
バーニー・サンダースやアレクサンドリア・オカシオコルテスといったスター議員が脚光を浴びるのは、医療費をテーマにしているからです。
医療費をテーマにするのは、主に「DSA(アメリカ民主社会主義者)」を自称する一派です。国民皆保険の導入を掲げて政治活動をする人達のことです。
先進国で唯一、国民全員をカバーする公的医療保険を持たないアメリカにおいて、この主張は国民に受けがいい便利なものです。
しかし、現実にはいつまでもこの議論を繰り返し、一向に実現はしません。まるで実現してもらったら困るかのように、いつまでも運動をしているだけ。
そこには左派政治家たち自身が「問題の解決」など望んでおらず、「富裕層への憎悪」を煽って集金と自己保身を続ける欺瞞と、アメリカ社会の未熟さが存在するからです。
骨折しても救急車を呼べないアメリカ人
アメリカの医療の過酷さは、「日常の緊急事態」に生々しく現れています。
救急車すら呼べずUberで病院へ行く
アメリカの救急車は公的サービスではなく有料です。1回の搬送で1,000ドル〜2,500ドル(約15万〜37万円以上)もの高額請求が届くため、交通事故や骨折、激痛を抱えた患者が「救急車を呼ばないでくれ!」と周囲に懇願し、配車アプリのUberやLyftを使って自力で病院へ向かう光景が日常化しています。
映画で描かれるような救急車の光景は、あくまでもファンタジーなのです。救急車は単なるお金儲けでしかありません。
高額な保険料を払っても受診できない
日本の健康保険に近い民間保険の、家族向け年間保険料は平均2万7,000ドル(約400万円)。毎年400万円も払うのです。
職場によっては、保険料を会社も一部負担してくれますが、個人の持ち出しは重いのが現実。
年間数十万円の自己負担額があるため、「保険料を払っているのに自己負担が重くて病院に行けない」という本末転倒な事態が起きています。日本の制度の3割負担がいかに優れているか分かります。
失業すれば「無保険」になり、自己破産へ
日本では勤務先を退職しても、国民健康保険や転職先での健康保険に加入できます。基本的に健康保険が途切れることはないというか、義務なので絶対に健康保険が継続されます。
しかしアメリカはあくまでも福利厚生なので、会社を辞めると無保険です。
自分で保険に入ったとすると、保険料は独身者で月12万円、家族なら月30万円以上に跳ね上がります。多くの人は保険料自体が払えません。
その状態で病気になれば、数百万円から数千万円の治療費がそのまま借金となり、医療費が原因で破産する人は年間数十万人にのぼります。
アメリカの一人あたり医療費支出は先進国平均の約2.5倍と世界一高額でありながら、平均寿命は78歳台にとどまり、日本の水準を大幅に下回っています。
これほど巨費を投じながら、命の危険があるときに救急車すら呼べない、失業したら無保険になるというアメリカ社会は、もはや先進国として失格レベルの状態なのです。
今後も絶対に国民皆保険が実現しない理由
アメリカではいくら議員が主張を叫んでも、絶対に国民皆保険は実現しません。
なぜでしょうか。
それは政治家たちが自分たちの利益のために、国民の苦難を利用しているに過ぎないからです。実現してもらっては困るのです。
国民の怒りを煽って票とお金を集めるのが目的なのですから。
そのため、主張は極めて下品なものとなっています。
DSA(アメリカ民主社会主義者)の主張は常に「強欲な1%の富裕層や大企業から金を巻き上げ、99%の持たざる者に配れ」というルサンチマン(怨嗟)です。
これが貧しいアメリカ人には非常に受けがいい。
「富裕層=悪」「持たざる者=哀れな善」という単純な善悪二元論は、大衆の嫉妬心や被害者意識を煽るには手っ取り早いのです。
しかし、こんな攻撃的な主張を繰り返しても、貧困層を煽ることは出来ても社会制度は一切変わらないのは当然でしょう。あまりにも幼稚です。
「富裕層からむしり取って自分たちの医療費に充てろ」と叫び続ける姿は、納税者や中間層から見れば「他人の懐に手を突っ込んでタダ乗りしようとする浅ましい貧民の要求」にしか映りません。結果として、「成功者を罰する社会主義の強盗政策だ」という保守派の猛反発を招き、社会全体が「卑しい貧民と守銭奴の金持ちによる醜い足の引っ張り合い」という様相になるだけです。
アメリカはこれを何十年と繰り返し、左派の政治家だけがお金持ちになっています。
憎悪を燃料にして社会を幼稚に分断させている点において、左派の罪は極めて重いと言えます。
これがアメリカの現実です。
日本は簡単に国民皆保険を実現した
アメリカで「他人の金を奪え」という下品な闘争が空転する一方、日本は今から65年前に国民皆保険が完成しています。
流血騒ぎのような革命闘争も必要なく、当時の保守政権主導であっさり成立した背景には、日本人らしさがあります。
「お互いさま」「助け合い」に理解のある国民性
日本が皆保険を実現できた最大の勝因は、「金持ちから奪って貧民に配る」という語り方を一切しなかったことです。
「健康なときも病気のときも、みんなで少しずつ出し合って支え合おう」という『お互いさまと助け合い(相互扶助)』を実現することに、国民が理解できたからです。
日本人は古来、「頑張った人だけが利益を総取りして当たり前」という考え方をしません。アメリカでは当たり前の感性を、一部の外資系企業では日本人も持つようになったようですが、あまりにも品の無い感性です。
日本人は助け合いが基本だったはずです。
所得に応じた保険料を誰もが納め、経営者も労働者も全く同じ保険証を持って同じ医療を受ける。
誰も特権を持たず、誰もフリーライドしないこの設計は、国民の自尊心を傷つけることなく、高度経済成長期の日本人の誇りと見事に調和しました。
みんなが頑張って、みんなが助け合うという感性は、アメリカでは共産主義的と毛嫌いされるようです。筆者もアメリカ系企業に長く在籍しましたが、もう品の無い浅ましさを堂々と自慢するあの雰囲気に辟易としたものです。
アメリカ社会の価値観では、国民皆保険は永遠に実現しないと断言できます。
無保険者層の不満に早くに対応した
日本の国民皆保険には、現実的な事情もありました。
1958年に国民健康保険法を全面改正し、1961年の皆保険を主導したのは、保守本流の岸信介内閣でした。
当時、急速な高度成長の影で農民や自営業者、中小企業従業員が無保険状態に置かれており、彼らの不満が左派勢力の拡大(社会不安)につながることを防ぐため、自民党政権が社会安定化の現実的な政策手段として制度を一気に完成させたという、政治的な事情もあります。
とはいえ、国民の苦しさを政治闘争の飯のタネにしなかったことは、非常に評価できると思います。
日本医師会とのすり合わせができた
アメリカでは医師会(AMA)が公的皆保険に猛反対し続けています。医師の金儲けを守りたいからです。
これも日本でも同じ事情だったはずです。国民皆保険で医師の儲けが減るのは変わりません。
しかし当時の日本医師会は制度そのものに理解を示し、「自由開業医制の維持」と「出来高払い方式(診療した分だけ保険から報酬が支払われる仕組み)」を前提にして合意しました。
医師側の採算と開業の自由を守りつつ、現実的な着地で合意できたことが大きかったようです。日本では医師はアメリカのように富豪にはなれませんが、しっかりと収入が得られる職業になっています。医師会が下品な金儲けを良しとしなかったことも大きいでしょう。
「憎悪を煽る未熟な国」と「60年前に制度を整えた成熟の国」
日本では、急病や大怪我の際に救急車を呼ぶのを躊躇する人はいません。搬送費用で家計が破綻することはありません。
仕事を辞めて無職になった場合でも、国民健康保険があります。無収入の場合は、均等割の減免制度(最大7割軽減)によって国民健康保険料は月額2,000円前後に抑えられます。年間たったの24,000円で、どんな病気でも3割負担で治療してもらえるのです。
世界に誇る成熟した制度でしょう。社会保険料が高い!と文句を言う人は多いのですが、アメリカのようになったら、そもそも病気を放置して死ぬか自己破産するかなので、日本の制度にお金を払った方が得です。
アメリカでは富裕層への貧困層のルサンチマンを燃料にして、裕福な政治家が「金持ちから金を奪え」と叫び、金持ちと貧民の醜い足の引っ張り合いに終始しています。
あまりにもみっともないのですが、みっともないと思わないのもアメリカ社会でしょう。
健康とお金という命に係わる問題すら、金持ちの闘争のタネにされるなんて、日本人にはちょっと考えられません。



























