公的年金の受け取りを65歳より遅らせると年金額が増える繰下げ受給は、長生きへの備えとして広く知られるようになりました。ところが基礎年金と厚生年金をまとめて繰り下げると、税金の面で毎年用意されている非課税の枠を使わないまま5年、10年と過ごすことになります。2026年(令和8年)の税制改正でこの枠が大きく広がったため、まとめて繰り下げる選択の損失は以前よりはっきり大きくなりました。基礎年金と厚生年金の片方だけを繰り下げる方法を、最新の数字で解説します。
繰下げは基礎年金と厚生年金を分けて請求できます
日本の公的年金は2階建てと呼ばれます。1階が老齢基礎年金で、原則として20歳から60歳までのすべての人が国民年金に加入して権利を得ます。2階が老齢厚生年金で、会社員や公務員として働いた期間に応じて上乗せされます。
受給開始は原則65歳ですが、前後に動かせます。60歳から64歳に早める繰上げ受給では1か月あたり0.4%減り、66歳から75歳に遅らせる繰下げ受給では1か月あたり0.7%増えます。70歳まで5年間遅らせれば42%増、75歳まで10年間なら84%増となり、この増額率は生涯続きます。なお繰上げの減額率0.4%は昭和37年4月2日以後に生まれた方が対象で、それより前に生まれた方は0.5%です。
ここで効いてくるのが、繰上げと繰下げの決定的な違いです。繰上げは基礎年金と厚生年金をセットで請求しなければなりませんが、繰下げは1階と2階を完全に分けて別々に請求できます。基礎年金を65歳から受け取りながら厚生年金だけを70歳まで遅らせる、あるいはその逆といった設計が認められています。
繰下げだけが持つ分離請求の仕組みです。この自由度が、次に説明する非課税枠の活用につながります。
2026年の改正で非課税の枠が年214万円まで広がりました
繰下げを考えるとき、増額率と同じくらい大切なのが手取りです。公的年金は雑所得として所得税と住民税の対象になりますが、現役世代の給与所得控除にあたるものとして公的年金等控除が用意されています。
65歳以上で年金収入が330万円未満の方は、公的年金等控除が110万円です。これに基礎控除が重なります。基礎控除は令和7年度・令和8年度の税制改正で連続して引き上げられ、令和8年分・令和9年分は合計所得金額489万円以下の方について最大104万円となりました(本則62万円に42万円の上乗せ特例)。
結果として、日本年金機構は公的年金の源泉徴収の対象とならない年金額を、これまでの205万円未満から214万円未満へ引き上げたと案内しています(65歳未満は155万円未満から164万円未満へ)。
住民税は所得税と別建てです。所得税は214万円、住民税はおよそ155万円と、二段階で考えると精度が上がります。
この214万円は、国が毎年用意してくれている年金受給者のための非課税の枠だと考えてください。翌年に繰り越すことはできず、使わなかった年の分はそのまま消えます。
すべて繰り下げると毎年214万円の枠を使わずに終わります
65歳を迎えた方が、70歳まで42%増やしたいと考えて2階建てをまとめて繰り下げたとします。65歳から69歳までの5年間、年金収入はゼロです。
収入がゼロなので税金もかかりません。しかし見方を変えると、毎年214万円まで無税で受け取れる権利を、5年間で1,000万円以上ぶん使わずに失効させていることになります。
さらに70歳から増えた年金をまとめて受け取り始めると、年間収入が一気に跳ね上がります。所得税と住民税が重くなるだけでなく、所得をもとに計算される介護保険料や国民健康保険料、後期高齢者医療の保険料、医療機関での窓口負担割合まで引き上がる可能性が出てきます。額面が増えても、手取りの伸びは想定より縮みます。
片方繰下げなら非課税の受け取りと増額を同時に取れます
そこで、1階か2階のどちらか一方を65歳から受け取り、もう一方だけを70歳や75歳まで遅らせる片方繰下げが効いてきます。
65歳時点の見込額が基礎年金80万円、厚生年金180万円(合計260万円)の方を例にします。
基礎年金80万円・厚生年金180万円の方が70歳まで繰り下げた場合の比較です。
| 比較項目 | すべて繰り下げる | 厚生年金だけ繰り下げる |
|---|---|---|
| 65〜69歳の年金収入 | 0円 | 年80万円(無税) |
| 5年間の累計受取額 | 0円 | 400万円 |
| 70歳以降の年金額 | 年369.2万円 | 年335.6万円 |
| 70歳以降の課税所得(目安) | 約145万円 | 約120万円 |
70歳以降の額面はパターンAが上回りますが、パターンBは先に400万円を無税で受け取っています。さらにパターンBは70歳以降の所得も低く抑えられるため、介護保険料や後期高齢者医療の保険料、窓口負担割合の面でも有利に働きます。額面の大きさと手取りの大きさが一致しない、というのが繰下げ受給の実像です。
片方繰下げが持つ3つの利点
- 非課税の枠を毎年使い切れます。65歳から70歳までの5年間も枠の範囲で年金を受け取るため、税制上の優遇を捨てずに済みます。
- 増額のリターンも確保できます。残した片方は毎月0.7%ずつ増え続けるので、将来の底上げ効果はしっかり手に入ります。
- 60代後半のお金の流れが安定します。無収入の期間を作らずに済むため、再雇用やパート勤務の収入と組み合わせて無理なく生活できます。
加給年金がある方は厚生年金を65歳から受け取ってください
片方繰下げを実行するとき、最も注意したいのが加給年金です。厚生年金の加入期間が20年以上ある方が65歳になった時点で、生計を維持している65歳未満の配偶者(年収850万円未満などの要件を満たす場合)がいると、老齢厚生年金に上乗せされる年金版の家族手当です。
令和8年度の金額は配偶者の基本額243,800円で、昭和18年4月2日以後に生まれた受給権者はここに特別加算179,900円が加わり、合計423,700円になります。
配偶者との年齢差が大きいほど、厚生年金の繰下げによる取りこぼしは膨らみます。
加給年金には、本体の老齢厚生年金を繰り下げている間は支給が止まるという決まりがあります。しかも加給年金自体は繰下げによる増額の対象ではないため、止まっていた期間の分は後から取り戻せません。
夫が65歳、妻が50代といった年の差のご夫婦であれば、次の組み合わせが基本になります。
年の差夫婦の設計パターン
加給年金がつく厚生年金は65歳から受け取って加給年金を全額確保し、加給年金と関係しない基礎年金だけを繰り下げます。これで家族手当を取りこぼさずに、1階部分をしっかり増やせます。
妻側が基礎年金を繰り下げると振替加算が減ります
基礎年金だけ繰り下げる方法には、逆の落とし穴もあります。加給年金は、対象だった配偶者が65歳になると打ち切られ、代わりに配偶者自身の老齢基礎年金に振替加算が上乗せされます。
ところが基礎年金を繰り下げている間は振替加算も受け取れず、しかも振替加算は繰下げによって増額されません。振替加算の対象になる世代の妻が基礎年金を繰り下げると、増えない部分を待たされるだけになります。
同じ片方繰下げでも、夫と妻で正解が入れ替わることがあります。ご夫婦それぞれの年金記録を見ながら決めてください。
2026年4月から働きながら年金を受け取りやすくなりました
もうひとつ、2026年に大きな変更がありました。働きながら老齢厚生年金を受け取る方の年金が減る在職老齢年金の基準額が、令和8年4月から月51万円から月65万円へ引き上げられました。
賃金と老齢厚生年金の合計が月65万円以下であれば、年金は原則として全額支給されます。これまで支給停止を避けるために働き方を抑えていた方も、収入を気にせず働けるようになりました。
厚生年金を65歳から受け取りながら働き続ける選択が取りやすくなったという意味で、加給年金がある方の片方繰下げは実行しやすくなっています。なお、支給停止された部分は繰下げによる増額の対象になりません。高収入のまま厚生年金を繰り下げても、増額は実際に支給される部分に限られます。
繰下げは途中でやめて5年分をまとめて受け取れます
繰下げを迷う方の多くは、待っている間に亡くなったら損をするのではないかと心配されます。ここには救済の仕組みがあります。
70歳以降に繰下げをやめて過去分を一括請求する場合、5年前に繰下げ請求したものとみなして増額された年金を受け取れます。待機を始めたあとで気が変わっても、直近5年分は増額率つきで取り戻せるということです。繰下げは一度決めたら動かせない選択ではありません。
手取りで比べる習慣が老後の差を生みます
公的年金の繰下げは、遅らせて額面を増やすだけの単純な仕組みではありません。非課税の枠、社会保険料への跳ね返り、家族構成に応じた加給年金と振替加算が複雑に絡み合います。
片方繰下げは、税制上の優遇を使い切りながら、長寿とインフレへの備えも同時に手に入れる方法です。60代以降の働き方、退職金の受け取り方、配偶者の年齢と年金加入状況によって、最も手取りが多くなる答えは一人ひとり違います。定年が見えてくる50代後半から60歳前後にかけて、ねんきん定期便と公的年金シミュレーターを使い、税引き後の手取りで比べておいてください。
住宅・保険・ライフプランの疑問を、AIに。
Tally(タリー)は、FP経験20年・5,000世帯の相談実績を学習したRAG型AIエージェント。商品の売り込みなしであなたの不安に答えます。一生分のキャッシュフロー表も自動作成。



























